橙 政一 自己紹介へ

橙工務店 物語 Part1 (~昭和40年)

公開日:2026/06/18(木) 更新日:2026/06/27(土) 日々のこと

おかげさまで 弊社 株式会社 橙工務店も今年の8月で創業67年を迎えさせていただきます。これまで多くのお客様にご贔屓にしていただき また大変お世話になり、誠にありがとうございました。

そこでその67年を振り返ってみようと 今回から数回に分けて 橙工務店の歴史・思いなどについて書かせていただこうと思います。

橙工務店の創業者 橙 喜通は愛媛県西宇和郡の佐田岬半島の先端付近の村で10人兄弟の7番目として生まれました。その後中学校を卒業し昭和24年に愛媛県八幡浜市にある大工店に入社し 親方に弟子入りし 大工の修行が始まります。見習い期間・準職人期間を経て一人前の大工となり、その後昭和31年には故郷である愛媛県から大阪市内の大工店に移り建築工事に従事しました。そして昭和34年8月に大阪市住吉区にて橙工務店を個人創業しました。橙 喜通 25歳のときになります。住吉での当時は同郷の大工さんや喜通の弟などを大阪に呼び、いっしょに住みながら大工工事に励んでいたと聞いています。

そしてその後茨木市での仕事も多くなり 茨木市でお世話になった方から 茨木市に引っ越してきたらどうかと勧められて 昭和38年に茨木市の現在地に引っ越してくることになりました。わたしが先代から聞いた話では 茨木市に引っ越す前は自転車に大工道具を積み住吉区から茨木市まで通っていたらしいです。今では到底考えられませんが。

その後 喜通の兄弟の息子さんや同郷の知り合いの息子さんを大阪に呼び 大工として弟子入りさせ 作業場の二階を住居とし住まわせ 食事は母親がみんなの朝晩の食事・お弁当を用意していたと聞きました。先代も母親も大変だったと思います。

当時は当然プレカットなどはありません。材料の選別 墨付けからはじまり 手刻み加工し 現場にて手揚げによる組立等。大工さんの技量がなければ 到底家は建てることができなかったと思います。

改めて このような大工さんの技量 技術は無くしてはならないと思いました。

昭和40年までは 大工時代の 橙工務店 でした。

続く。